8月某日。泊まっていたゲストハウスのラウンジで、僕は雑誌を読んでいた。「SWITCH」2月号で特集は荒木経惟。冒頭には、角田光代の連載があった。私生活や仕事に関するエッセイで、今回では香港が、話の中心だった。彼女にとって香港は、とにかく何をするにも楽しいような、相性の良い場所なのだという。
「興奮も緊張もしない、ちょうどいいたのしさ」
まだそんな境地には達していないけれど、今まさに滞在している高松は、自分にとって相性の良い街になりつつあるんじゃないかと、ふと思った。といっても、ゲストハウスにたどり着くのに散々迷い、さらに翌日の朝、うどん屋を探してまた迷う、といった始末なのだから、結局まだまだなのかもしれない。
初めて高松に行ったのは、3年前のことだ。現代アートに関心を持つようになった頃、タイミングよく瀬戸内国際芸術祭も開催され、しかも、芸術祭の運営を支えるボランティアグループのこえび隊にも参加したため、その年は4、5回くらい訪れていたと思う。その頃はまだ京都に住んでいたので、活動に参加するときには、泊まる場所が必要になった。そんなとき、運営側から用意されたのがこえび寮だった。いろいろと場所の変遷もあったようだが、自分が参加した秋会期のとき、場所は中心市街地のあるお寺に定められていた。
確かそこは、本堂と会館が一体化していた近代的なお寺で、部屋もたくさんあった。宿泊者が多いとき、大抵男子は1階の広い本堂で寝ていたが、そこだけは吹き抜けで、2階の通路からは丸見えな状態だったのを、今でも覚えている。2階には共用のキッチンがあって、手打ちのさぬきうどんやたこ焼き、芸術祭の打ち上げなど、いろいろとパーティーも催された。今の自分が、ゲストハウスやシェアハウスに親しんでいるのには、このこえび寮の存在が大きいと思う。
あるとき、どうしても長靴が必要になって、街へと買いものに出かけた。なかなか長靴は見当たらず、仕事終わりの疲れた状態で、2時間近くも彷徨うハメに。でも、彷徨いながら見ていた街の姿は、漠然とおもしろいものに感じられた。もはやショッピングモールとでもいうべき、清潔感の漂うアーケード。パイの美味しい洋菓子屋を見つけた、小さくて味のある通り。銭湯に向かう道の途中にあった、スーパと一体化した駅の周辺に広がる、生活感の漂うエリア。ほとんどの時間を、島々でのボランティア活動に費やしていたこの時期、それらはまだ、自分のなかで実体として感じられず、どこか幻に近いものがあったと思う。 ボランティアを終えてから一年半後、すでに尾道へと移住していた僕は、ようやく高松を訪れる機会を得た。今度はしっかりとカメラを携えて、中心市街地へと入った。何となく寮のあったお寺を目指し、写真を撮りながら歩いていくと、あの時感じた、街の多様さ、おもしろさが、ようやく自分の体の中に浸透し、定着していったような感覚を覚えた。
まだまだ街は続いている。同じ年の夏、そのお寺から少し南のエリアへと足をのばした。持ち歩いていた本に書いてあった、いくつかのお店に行ってみると、これがまた恐ろしいくらい、自分のツボにはまっていった。ゲストハウスもあるこのエリアには、どこか親しみやすい店が多く、高松に滞在するのなら、もういっそこのエリア内で、宿泊も飲み食いも済ませてしまおう、そう思えるような場所になった。
今年は、いよいよ芸術祭が開幕する。こえび寮も復活するそうだ。おそらくアートのために、島へとまた向かうのだろう。そして島から帰ってきたのなら、例の場所に滞在し、飲み食いすることを、忘れないようにしたい。ブロンズ外壁の百十四ビルにほど近い、あの辺りへ。
あなごのねどこスタッフ MOOさん